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大阪地方裁判所 昭和41年(行ウ)87号 判決 1981年3月27日

堺市北丸保園二ノ四

原告

藤岡正雄

右訴詮代理人弁護士

亀田得治

井関和彦

鏑木圭介

三野秀富

右訴訟復代理人弁護士

戸田正明

堺市南瓦町二六

被告

堺税務署長

中西恕昭

右指定代理人

浅尾俊久

太田吉美

志水哲雄

鈴木淑夫

主文

一  被告が原告に対し、昭和三九年二月一一日付でした

1  原告の昭和三五年分所得税についての更正処分中、税額一一、二〇〇円を超える部分及び過少申告加算税賦課処分を、

2  原告の昭和三六年分所得税についての更正処分中、税額一〇七、五〇〇円を超える部分及び過少申告加算税賦課処分を、

いずれも取消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

主文第一、二項同旨の判決

(被告)

「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二当事者の主張

(請求の原因)

一  原告は昭和三五年及び昭和三六年当時藤岡組の名称で土建材料等の販売を業としていたものであるが、被告に対し、いずれも白色申告書により、昭和三五年分の所得税の額を一一、二〇〇円とする確定申告を、昭和三六年分の所得税の額を一〇七、五〇〇円とする確定申告をそれぞれしたところ、被告は昭和三九年二月一一日付をもって、昭和三五年分の所得につき、所得税の額を三、五九六、五五〇円とする更正処分及び一七九、二五〇円の過少申告加算税賦課処分を、昭和三六年分の所得につき、所得税の額を一五、四六四、八四〇円とする更正処分及び七六七、八五〇円の過少申告加算税の賦課処分をそれぞれした(以下右各更正処分と本件各更正処分と、右各過少申告加算税賦課処分を本件各過少申告加算税賦課処分といい、一括する場合は本件各処分という。)

二  本件処分につき、原告は昭和三九年三月一〇日被告に対し異議の申立をしたが、被告は同年六月九日これを棄却したので、原告は同年七月八日大阪国税局長に対し審査請求をしたところ、同局長は昭和四一年六月三〇日付でこれも棄却した。

三  しかしながら本件各処分には次のような違法がある。

1 被告は、本件各係争年とも原告の所得につき実額に基づく課税が可能なのにもかかわらず推計課税を行った。

2 被告は本件各係争年とも原告の所得を過大に認定した。

四  よって原告は、本件各更正処分中、原告の提出した確定申告に係る各所得税額を超える部分及び本件各過少申告加算税賦課処分の取消を求める。

(請求原因に対する認否)

一  請求原因第一、二項は認める。但し原告は同第一項記載の事業と併せて被告の主張第一項1記載の事業を営んでいる。

二  同第三項中、被告が本件各係争半分の原告の所得につき推計課税を行ったことは認めるが、その余は争う。

三  同第四項は争う。

(被告の主張)

一  本件各処分の経過

原告は本件各係争年頃、肩書地において、パワーショベル等多数の建設機械及びダンプカー多数を所有し、常傭従業員四〇数名のほか日雇労務者常時数十名を雇用して、土砂の採取運搬、販売、港湾埋立、宅地造成等の事業を行っていたが、本件各係争年分の所得税につき、それぞれ法定申告期限内に次表各申告額欄の内容を記載した確定申告書を被告に提出した。

これに対して、被告はその調査に基づき、昭和三九年二月一一日付で、同表各処分額欄記載の内容の本件各更正処分及び本件各過少申告加算税賦課処分をそれぞれ行った。

確定申告額及び本件処分額表

<省略>

二  本件各更正処分の適法性

1 推計課税の適法性

昭和三八年一二月頃被告の部下職員調査官四名が、原告の本件各係争年分の所得金額の調査のため、原告宅へ臨場し、事業に関して収支計算を明らかにする帳簿の提示を求め、或いは調査のための質問を行ったが、原告は右調査に協力せず、右所得金額の算定に必要な帳簿書類をほとんど提示しなかった。

右のような次第で被告は、原告の右各所得金額を収支損益計算の方法によって算定することができなかった。そこで被告は純資産増減法による推計課税を行うこととし、新聞等の方法によって知りえた調査結果に基づき、原告の資産、負債の全額を把握し、これにより原告の本件各係争年分の所得金額を推計して本件各処分を行った。

2 原告の所得金額

原告の本件各係争年における総所得金額は以下のとおりであって、右総所得金額の範囲内でした本件各処分はいずれも適法である。

(一) 本件各係争年における原告の純資産増加額は次表のとおりである(その詳細は別紙(一)資産増減法による原告の事業所得金額表中、被告主張分欄及び同付属明細表1ないし9中、各被告主張分記載のとおり)。

<省略>

(二) 右純資産増加額を基礎にした原告の事業所得の金額は次表のとおりとなる。なお事業用資産の損失額は別紙(一)付属4(建設機械明細)及び同5(車輌運搬具明細)中、各譲渡損失額欄記載のとおりである。

<省略>

(三) 結局原告の本件各係争年分の総所得金額は次表のとおりである。なお譲渡所得の損失は前記事業用資産の損失と同原因、同額である。

<省略>

(被告の主張に対する原告の答弁)

一  本件各更正処分の適法性の主張につき

1 推計課税を行うに至った経過の主張を争う。原告は被告の部下職員調査官らの調査に際して、本件各係争年の営業規模、対象等及び山土や山林の原材料、建設機械等の購入先、借入金の貸主名等を説明したし、青色申告に要するような帳簿は備えつけていなかったものの、収支計算が可能な範囲で、手形、小切手帳、銀行預金通帳、銀行勘定書、納品書、請求書、判取書、納税書、ノート等が備えつけてあったから、調査官らの適切な協力要請があれば、これに答えることができた。それにもかかわらず調査官らは半ば強制的な調査に終始するのみで、原告の協力を求めず、わずか四、五回原告方を訪れただけで推計課税をしたのは違法といわざるをえない。

2 原告の本件各係争年分の総所得金額の主張についても争う。但し原告の本件各係争年の期首、期末における資産及び負債に関する別紙(一)及びその各付属明細表についての認否及び原告の主張は同各表中の原告の認否及び主張分欄各記載のとおりである。

3 本件各係争年における原告の所得は、別紙(二)収支計算書及び同付属1ないし10各記載のとおり各年とも大巾な損失となっている。

なお右収支計算は、本件各更正処分後、異議申立に至るまでの間に、高部税理士の指導のもとで、原始記録に基づきなされたものであって、被告の推計課税よりは正確である。すなわち本件各係争年の会計資料は原告の妻及び事務員山本により作製もしくは保管されていたが、本件各更正処分後、同税理士の指示により原告の妻が右会計資料等に基づき右両年の売上明細書、売上原価表、給料明細表、貸倒金表、事故明細書及び工賃に関する資料を作成し、これらに基づき同税理士が収支計算を行ったものであって、そこに行為等が入り込む余地はない。本件各係争年分の原告の所得金額は、右収支計算に基づいて算定すべきである。

(原告の主張に対する被告の答弁)

原告の所得金額は収支計算に基づいて算定されるべきであるとの主張について争う。すなわち一般に収支計算に基づいて適確な所得金額は算定されるためには、収支計算は、一切の取引が正規の簿記の原則に従って整然かつ明瞭に記載された売上帳、仕入帳、金銭出納帳、銀行預金出入帳、手形記入帳等の帳簿に基づくものでなければならないうえ、これらの帳簿の正確性を保証するためには、帳簿作成の基礎となった領収書、請求書、納品書、契約書、見積書等の取引の原始記録がすべて保存されていなければならない。しかも本件の場合、原告の営む事業は、一般的な物品の卸、小売業と異なり、その事業内容は不安定であって、従って工事差益の算定も不安定である。この点から見ても、原始記録の完全な保存整備と記録に基づく計算が所得の算定上に必要である。ところが原告は本件更正処分以前には事業所得の計算に必要な帳簿その他の資料の備付や保存をしていなかったし、原告の事業内容や規模に照らしても本件更正処分後に本件各係争年分の多岐にわたる取引資料を全て収集することは到底不可能である。従って不完全な資料による原告の収支計算は正確なものとはいえない。

第三証拠

(原告)

一  書証

甲第一ないし第七号証(第二号証は写で提出)、第八号証の一ないし二〇、第九ないし第一八号証、第一九、第二〇号証の各一、二、第二一号証の一ないし一五、第二二号証の一ないし七、第二三号証、第二四号証の一ないし四、第二五号証の一、二、第二六号証の一ないし五、第二七号証の一ないし四、第二八号証の一、二、第二九号証の一ないし一二、第二九号証の一ないし一三、第三一号証の一ないし七、第三二号証の一ないし二一、第三三号証の一ないし四、第三四号証、第三五号証の一、二、第三六号証、第三七号証の一ないし七、第三八ないし第四〇号証、第四一号証の一、二、第四二、四三号証、第四四万証の一ないし九、第四五号証、第四六号証の一ないし、一六、第四七号証、

二  人証

証人石井秋平、同藤岡岩雄、同藤岡茂、同藤岡彰子、同高部博至、同新木昵、同林正治、原告本人

三  乙号証の認否

乙第四号証の一、二、第七号証、第二〇ないし第二五号証、第四六号証の一、第四八号証の一、二、五、第五一、五八、五九、六八、八五号証の各一、二、いずれも官署作成部分の成立を認め、その余の部分の成立は不知。第一二号証、第一四号証の一、二、第一六、一七、一九、二六号証、第四六号証の二、第四八号証の三、四、第五〇号証の一、二、第五二、五三号証、第五四号証の三、第五六、五七、六五ないし六七号証の各成立はいずれも不知。第一五号証、原本の存在成立とも不知。第二七号の一の成立否認、同号証の二の官署作成部分の成立認め、その余の部分の成立は否認。第一八号証、原本の存在成立とも認める。その余の乙号証の成立はいずれも認める。

(被告)

一  書証

乙第一、二号証、第三号証の一ないし一〇、第四号証の一、二、第五ないし第七号証、第八号証の一、二(二は写で提出)、第九、一〇号証、第一一号証の一ないし三(三は写で提出)、第一二号証、第一三号証の一ないし九、第一四号証の一、二、第一五ないし二六号証(第一五、一八号証は写で提出)第二七号証の一、二、第二八ないし三五号証、第三六、三七号証の各一、二、第三八号証、第三九、四〇号証の各一、二、第四一号証の一ないし六、第四二ないし四四号証、第四五号証の一ないし六、第四六号証の一、二、第四七号証の一ないし三、第四八号証の一ないし五、第四九号証の一ないし一四、第五〇、五一号証の各一、二、第五二、五三号証、第五四号証の一ないし三、第五五号証の一ないし一三、第五六、五七号証、第五八、五九号証の各一、二、第六〇号証、第六一号証の一ないし六、第六二ないし六四号証の各一、二、第六五ないし六七号証、第六八号証の一、二、第六九号証、第七〇、七一号証の各一ないし三、第七二ないし七四号証、第七五号証の一、二、第七七号証、第七八号証の一、二、第七九ないし八三号証、第八四号証の一ないし八、第八五号証の一、二

二  人証

証人西村皓吉、同金田誠(第一、二回)、同宮本益美、同前田全郎

三  甲号証の認否

甲第一ないし七号証、第二六号証の一ないし五、二八号証の一、二、第四二、四三号証、第四四号証の一ないし九、第四七号証の成立はいずれも認める(第二号証の原本の存在も認める。)。第三四号証中チェック部分の成立は不知、その余の部分の成立は認める。第三六号証中官署作成部分の成立は認め、その余の部分の成立は不知。その余の甲号証の成立はいずれも不知。

理由

一  請求原因第一、二項の各事実については当事者間に争がなく、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は土建材料の販売の他に、昭和三四年一一月頃から堺臨海工業地帯の埋立工事のうち盛土工事関係の下請事業も始め、本件係争年である昭和三五年及び昭和三六年は他数の従業員と土木建設機械、運搬用車輌を擁して主として右下請工事をその事業内容としていたが、右各係争年分の所得税につき、(被告の主張)第一項本件各処分の経過中の「確定申告額及び本件処分額表」中、申告額欄記載の内容の確定申告書(課税標準たる総所得金額は、昭和三五年分につき七六八、〇〇〇円、昭和三六年分につき一、〇〇〇、〇〇〇円)をそれぞれ被告に対して提出したところ、被告はその調査したところに基づき同表処分額欄記載の各金額を認定のうえ、本件各処分に及んだことが認められ、これに反する証拠はない。

二  本件各処分の適法性について判断する。

1  本件各処分における推計課税の適法性について

被告が本件各係争年の原告の所得につき推計課税を行ったことは当事者間に争がない。

証人金田誠の証言(第二回)により真正に成立したと認められる乙第五二号証、証人高部博至、同藤岡彰子の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は本件各係争年分の収入、支出について、かなりぼう大な量の手形、小切手控、人夫の判取り帳等の資料を保管し、又経理担当者が日々の売上げ及び仕入れ等の経理関係の事項をメモしたノートを作成していたものの、正式の帳簿類は備付けていなかったこと、昭和三八年末頃被告の部下職員は原告宅へ数回臨場して原告の本件各係争年分及び昭和三七年分の各所得について調査を行ったが、その際原告は右資料およびノート等の提示は行わず、終り頃に至って右各年分の経費の一部についてのメモ書を示すに止ったこと、その結果被告は原告の本件各係争年分の収入及び支出については、その実額を捕捉することはできず、その調査に基づいて把握した原告の本件各係争年分に関連する資産負債状況から原告の本件各係争年分の所得を推計して本件各処分を行ったことがそれぞれ認められ、原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は証人西村皓吉の証言に照らして採用できず、他に右認定事実に反する証拠はない。

右事実によれば、本件各処分時において判断する限り、被告が原告の本件各係争年分の所得を認定するに当って推計による必要があったというべきであり、従って本件各処分が推計課税であったことをもってその違法事由とすることはできない。

2  過大認定の主張について

推計課税による本件各処分に対して、原告は、本訴において、実額によって原告の本件各係争年分の各所得額を認定すべき旨を主張する。所得額の認定に当って、可能な限り、実額によるべきことはいうまでもなきところ、当裁判所は次の理由により、これを行うべきであり、且つそれは可能であると考える。

すなわち

(一)  原告の右主張については、証人藤岡彰子の証言により、原告の日々の経理関係の事項がメモされた前記ノート及び手形、小切手控、請求書等に基づいていずれも原告の妻である同証人が作成したと認められる詳細な明細書(売上げ、経費とも月別、取引先別の取引額が記載されている。なお右明細書は、主要な経費については甲第八号証の二ないし二〇、売上げについては同第九、第一四号証、その他の経費については同第一一ないし第一三号証、第一六ないし第一八号証である。)が証拠として提出されている(他に領収書等の原始資料も一部提出されている。)が、同証言及び原告本人尋問の結果によれば、右各明細書の基礎となった前記ノートは、その記載方法はメモ程度に過ぎず正式会計帳簿とはいえないものの、日々経理関係の事項について概ね忠実に記載されていたと認められること。

(二)  もっとも右ノートは本訴においては提出されていないため、右明細書の記載の正確性をその原本によって検証することはできず、更には右ノートの記載内容自体による原告の収支の検討は不可能であるが、原告本人尋問の結果によれば、右ノートは昭和四二年被告による別件税務調査の際紛失したと認めざるをえず(これに反する証拠はない。)、右事情のもとでは、右ノート不提出の不利益を原告に負担させることは酷であること。

(三)  前記乙第五二号証、いずれも成立に争のない乙第二八ないし第三五号証、第三九、第四〇号証の各一、二、第四一号証の一ないし六、第四二、第四三号証、第四五号証の一ないし六、第四七号証の一ないし四、第四九号証の一ないし一四、第五四号証の一、二、第五五号証の一ないし一三、第六〇号証、第六三、第六四、第七八号証の各一、二、第七九ないし第八二号証、いずれも官署作成部分については成立に争はなくその余の部分については証人金田誠の証言(第二回)により真正に成立したと認められる同第四六号証の一、第四八号証の一、二、五、第五一、第五八、第五九、第六八号証の各一、二、いずれも同証言(同回)により真正に成立したと認められる同第四六号証の二、第四八号証の三、四、第五〇号証の一、二、第五三号証、第五四号証の三、第五六、第五七、第六六号証、及び同証(各回)によれば、原告は本件各処分についての異議申立及び審査請求の段階においても、実額による所得の認定を主張し、売上げについて月別、取引先別の取引額を明示した明細書(乙第四一号証の一ないし六)(但しその内容の一部については後記のとおり前掲甲第九号証及び第一四号証の記載と一致しない部分もある。)及び経費について前記甲第八号証の二ないし二〇と同一の資料を提出したこと、被告及び大阪国税局の協議団の各担当官は原告の取引関係について克明な調査を行ったが、その調査方法として、原告の取引銀行である三和銀行堺東支店等において原告が振出し又は取立ないし割引受けた手形、小切手等の全面的探索及び取引先に対して単に各年の期首期末の残高のみでなく右残高が生ずる原因となった月別の取引額及び支払額、支払方法も含む照会を行ったこと、本訴においては、右調査結果中、前記各明細書の記載と食違いのあるものが証拠として提出されているが、右各証拠を検討すると、食違い部分は別として、右明細書の記載と合致する部分もかなり多いことが認められ、右事実及びその記載の態様自体に照らしても、右各明細書は根拠のない数字の羅列に過ぎないものとはとうてい考えられないこと、

(四)  右不一致部分については、弁論の全趣旨及び本件に提出された全証拠によって慎重な検討が必要であるが、右検討によってもなお解明されないものが残ったとしても、もともと右不一致部分が右各明細書記載の夥しい全取引数に占める割合は僅かである以上、解明不能の不一致部分の残存をもって右各明細書記載の他の取引についての記載の信用性を否定する根拠とすることは当をえないこと。

しかも推計課税の基礎となる資産負債の確定のために、課税庁において、その一部をなす受取、支払各手形、売掛金及び未払金各科目についての調査は欠かせないところ、その正確性の確保のためには、判明している限りの取引先についての調査が必要な筋合であり、現に同証言(各回)及び別紙(一)付属7支払手形明細及び特に同付属8未払金明細(明示された取引先数も少くないほか、その他としてかなりの金額が記載され、明示されない被調査取引先数の多さを推測させる。)に照らすと、右調査は、原告の取引先につきほぼ網羅的に行われたものと認めて差支えないが、このような中で、各月別の取引額に及ぶ前記のような被告及び同協議団の調査内容を考え合わせたとき右各明細書記載の各取引中、反対証拠が提出されている取引以外の各取引については、他に特段の事情が認められない限り、反証なきものとして、その記載に従う存在を肯認することが相当であること。

(五)  以上のとおり前記各明細書については、その全般にわたって慎重な検討が必要とはいうものの、実額認定の基礎資料としては十分に使用に耐えうるものといわなければならない。この点について付言すると、右各明細書記載に則った原告主張の収支計算結果は、昭和三五年につき損失二五、六七九、七四六円、昭和三六年につき損失三七、五二六、九七〇円であるが、右各額に、所得税法上必要経費算入及び損益通算がそれぞれ認められている事業用固定資産の減価償却費及び譲渡損害額(被告主張に基づいて計算しても、昭和三五年分につき一四、七〇九、六四三円、昭和三六年分につき二七、七四六、五三六円に達する。)を加算すると、本件の第一の争点である原告の総所得金額が原告の申告額を超過するかどうかについて、右各明細書検討の幅は極めて大きく、右明細書に基づく実額認定上許容されたこのような多額の検討の幅を無視して、右各明細書の記載中に存在する幾つかの矛盾点や不審点をとらえて、これを理由に、原則に反して直ちに推計により原告の所得金額を認定する方途に走ることは当をえないこと。

(六)  更に付言すると、本件において資産負債増減法によって原告の所得金額を推計しようとする場合、その正確性を左右するものは、知人親戚からの借入金の存否であるところ、この点について積極、消極とも決定的な証拠はなく、最終的には右のような借入れをする必要があったかどうかの事情に立入らなければならないのであるが、それには結局原告の収支の判断に進まざるをえないこと。

以上の理由により、本件では前記各明細書(甲第八号証の二ないし二〇、第九ないし第一八号証及び乙第四一号証の一ないし六)を基礎に、実額認定を行うこととする。

(昭和三五年分)(以下同年分については年の記載を省略する。)

(一)  売上げ

別紙(二)付属1昭和三五年度売上明細(前記甲第九号証と同一内容)記載の五三取引先に対する総売上げ額八七、七三四、四六二円(別紙(二)記載額八七、七三四、四六六円は六月分の計算違い)の存在は原告の自認するところである。

ところで前記認定のとおり原告が異議申立の際被告に提出した資料である乙第四一号証の一ないし三には、右各売上げの他に、同和商事株式会社(以下会社についてはすべてその表示を省く。)一五、〇〇〇円、西岡土工一〇四、二〇〇円(但し不渡)、三菱ふそう自動車八、〇〇〇円、堺市立浅香山中学校七、七〇〇円、西田工務店二三七、八〇〇円、丹司産業二、一三一、九一〇円、西日本開発三〇九、三七六円、ショベル工業一二三、〇〇〇円の売上げが記載され、又松島建材については二三、六四〇円(二三、六〇〇円)(カッコ内は売上明細記載の数額、以下同じ。)、橋爪工務店については四〇、〇〇〇円(五一、〇九〇円)と記載され、岡崎工業については二四、〇〇〇円の追加記載が存在する(なお、乙同証には弥栄重機一、九二六、〇〇〇円及び砂市商店五四三、五〇〇円の各売上げの記載は存しない。)。乙同証と同売上明細の基礎となった甲第九号証については、原告本人尋問の結果によれば、乙同証が作成された後、当時原告から相談を受けていた高部税理士が指導し、同証中整理すべきものは整理して甲同証が作成されたという関係にあることが認められるところ、右事情に照らしても乙同証と甲同証の各記載の右相違の原因は不明であり、従って右相違中乙同証のみに記載のある前記八取引先合計二、九三六、九八六円の売上げ及び前記岡崎工業に対する二四、〇〇〇円の追加売上げについては甲同証への記載漏れとして取扱うのほかはなく、前記不一致の二取引先に対する売上げはその多額の方を採る(従って付属1の記載から見た場合、松島建材に対する売上げにつき四〇円の追加を修正を行う。)のが相当である。

又同売上明細と乙同証の各記載は、新建材と真納組に対する売上げについて次表のとおりとなっている。

<省略>

前記原告本人尋問の結果によれば、乙同証に基づき甲同証を作成する際の整理として、同一原因の売上げ先を元請と下請に振分け直したことが認められるところ、右表を見れば、新建設と真柄組の各売上げがこれに当ると認めるのが相当である。従って右二取引先に対する売上額については、同売上明細の記載に修正は不必要である。

さらに前記乙第二八号証によれば、九月頃原告は宮内油業に対して五五〇、〇〇〇円の工事代金債権を有していたことが認められ、右債権はそのころ発生したものと推測するのが相当であるから、右債権相当額も同年の売上げに加えるべきである。

この他に証人石井秋平の証言中には、興亜コンクリート工業は昭和二七年頃から原告と取引(原告が同社に対し原材料を納入したり、同社製品の運搬を請負う。)を継続していたが、当期頃も右関係は継続され、月商約三〇〇万円に達していた旨の部分が存在する。しかし同証言をなお検討すると、右時期における同取引関係の継続の点では曖昧であり、その主旨は、原告からの仕入取引関係は、原告が埋立工事に忙しくなる頃までしか継続しなかったとの点にあり、これに原告本人尋問の結果真正に成立したと認められる甲第三五号証の一、二及び同本人尋問の結果並びに被告及び同協議団の克明な調査にもかかわらず右両年につき、原告の取引決済関係に同社振出の手形、小切手が現われた証跡のない事実(なお同証言によれば、同社の原告に対する支払いは、現金の他、同社振出の手形、小切手で行われていたことが認められる。)を総合すると、原告が前記埋立工事の下請工事をその主業務としはじめた当期にはもはや右取引関係は終了していたと認めるのが相当である。従って同社に対する売上げ計上の必要はない。

他に売上げを認めるべき証拠はなく、そうすると原告の総売上げ額は九一、二四五、四八八円となる。

(計算式)

八七、七三四、四六二+二、九三六、九八六+二四、〇〇〇+四〇+五五〇、〇〇〇=九一、二四五、四八八円

(二)  材料費

(1) 期首棚卸高

原告が期首において別紙(一)付属3原材料明細Ⅰ、番号1ないし11の山土、価額四〇万円相当を所有していたことは当事者間に争がない。いずれも原告本人尋問の結果真正に成立したと認められる甲第二二号証の一ないし七及び同本人尋問の結果によれば、原告は昭和三四年中に橋本猛から代金合計四二五万円相当の山土を仕入れたが、右山土は良質であってかなり早い時期に消費したことが認められ、これに反する証拠はない。右事実と原告の埋立工事施行の工程を考え合わせた場合、右山土のうち五分の一は同年中に費消され、当期期首には三四〇万円の残高があったと推認するのが相当である。さらに同本人尋問の結果によれば、原告が右埋立工事に着手するまでに仕入れていた砂利、栗石等の原材料を期首においても各地の置場に保有していたことが認められる(これに反する証拠はない。)ところ、弁論の全趣旨により、期首における右保有高を一六〇万円(別紙(二)原告主張の期首商品棚卸高と同額)と認める。

従って期首棚卸高は合計五四〇万円となる。

(2) 当期仕入高

原告本人尋問の結果真正に成立したと認められる甲第一九号証の一、証人宮本益美の証言により真正に成立したと認められる乙第一六、第二六号証、いずれも官署作成部分については成立に争がなくその余の部分については証人金田誠の証言(第一回)により真正に成立したと認められる乙第二一ないし第二五号証、及び同各証言、同本人尋問の結果によれば、原告は同年中に、同明細Ⅱ、番号12、13記載の各山土を、代金一〇万円で、同番号14ないし29記載の各山土を各価額欄記載の各価額(合計二四四万円)(いずれも農作物補償費を含む)で買受けたことが認められ、甲第一九号証の一及び乙第一九号証(その成立は証人宮本益美の証言により認める。)の各記載中、右認定に反する部分は採用できず、他にこれに反する証拠はない。なお後記認定のとおり、原告は同付属6土地明細番号2ないし13記載の土地を山土採取の目的で購入し、更に当事者に争いのない事実及び弁論の全趣旨によれば、原告は他に二〇数筆の土地を同目的で買入れたことが認められるが、原告が当期及び次期ともこれらから山土を採取したとの確証はなく、原材料科目に関しては収支計算上持越しになるだけなので、仕入れには含めないこととする。

別紙(二)付属2の二枚目仕入材料費欄記載の各取引について検討を進めると、原告本人尋問の結果によれば、原告はこの頃相当数の融通手形を他と交換していたことが認められるのであるが、これら商取引を伴わない融通手形の振出を、商取引に基づいたものと見誤って取引記載したものがある場合は、これを排除しなければならないことはいうまでもない。これを同欄記載の各取引について見ると、前記甲第八号証の二及び三の記載によれば、関西建材、出水商店、福江砂利、森川商店、木津川砂利、平越商店、大久保組については、その取引記載に継続性がなく、記載金額も商取引としては不自然な五万円の整数倍(但し福江砂利は一二万円)である事実に照らすと、融通手形振出を誤記載したものとの疑が濃厚である。従って右各取引先についての取引記載は経費に算入しないこととする(但し甲同号証の六に記載された木津川砂利についての五、〇〇〇円の記載には右事情はないので、材料費中に計上する。)。

同欄記載のその他の取引先については、甲同号証の三ないし一〇によれば、原告は森組から二、〇六五、三九一円相当の、土重建材から四一四、六六〇円相当の、秋葉砂利から四四三、五五〇円相当の、笠松建材から五五、二七〇円相当の、島安から三三、一六〇円相当の、安野建材から一二、九五〇円相当の、金剛セメントから一、九五〇円相当の各原材料を仕入れたほか、右各社以外の各取引先から各対応金額欄記載の金額の原材料、合計(右各社も含め)一一、七一四、八三一円相当を仕入れたことが認められ、これに反する証拠はない。

以上当期仕入高は合計一四、二五四、八三一円となる。

(3) 期末棚卸高

山土につき、期末において前記原材料明細番号1ないし25記載分の中、合計一七七万円の山土が残存したことは当事者間に争がなく、原告本人尋問の結果によれば、同番号26ないし29記載分については合計八〇万円相当の山土がそのまま残存したことが認められる。なお橋本猛から仕入れた分については当期中にすべて消費されたと認めるのが相当である。従って山土の期末棚卸高は二五七万円となる。

その他の原材料については、弁論の全趣旨により一二〇万円(別紙(二)原告主張の期末商品棚卸高と同額)相当分が残存したと認める。

よって期末棚卸高は三七七万円である。

(4) 従って当期材料費は、期首棚卸高五四〇万円と当期仕入高一四、二五四、八三一円の合計額から期末棚卸高三七七万円を差引いた一五、八八四、八三一円となる。

(三)  労務費

(1) 給料

前記乙第四六号証の一、二、乙第四八号証の一ないし五及び弁論の全趣旨によれば、別紙(二)付属3昭和三五年度給料明細に従業員として記載されている藤村正及び大城正夫は、同付属2の二枚目外注加工費欄に記載されている藤村送及び大城商店とそれぞれ同一の者と認められる。そうすると右両名は二重に記載されていることになる(その事情は不明である。)ところ、同乙第四五号証の一ないし六、第四七号証の一ないし四によって認められる右両名に対する各支払額に照らせば、右両名の原告との関係は下請関係(運搬請負)と認めるべきであり、従って右両名についての給料は外注費と重複する月は勿論そうでない月も排除しなければならない。

前記甲第一一号証、証人藤岡彰子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は右両名を除く別紙(二)付属3記載の延三一人の従業員に合計二、九一八、四七〇円の給料を支払ったことが認められ、これに反する証拠はない。

(2) 工賃

成立に争のない甲第六号証、証人藤岡彰子、同高部博至の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は土砂採取現場及び埋立現場における各種作業要員として地元の者や日雇労働者数十人を日々雇入れ、その人夫賃として合計六、四六八、三〇〇円を支払ったことが認められ、これに反する証拠はない。

(四)  外注費

前記乙第四六号証の二、同第四八号証の三、四及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、前記藤村組こと藤村正及び大城商店こと大城正夫と原告との各運搬請負契約の内容は、右両名がそれぞれ原告所有のダンプカーを使用して原告のために土砂の運搬を行うこと、使用車の燃料費、修理費、消耗品費等は右両名が各自負担するが、その購入先には原告が原告名義で支払い、右立替分を請負代金から差引き決済する、というものであったこと、右支払いは小切手によることが多かったが、前借り等もしばしば行われ、その場合は現金払いであったことが認められ、これに反する証拠はない。弁論の全趣旨によれば、甲第八号証の二に記載された藤村正についての合計一、八五一、一〇〇円及び大城正夫についての合計二、一四六、六三〇円の各外注費は右差引前の請負代金額であったと認めるのが相当であり、右差引後の手取金額については、同号証の四(大城)、同号証の五(藤村組)のうちの右両名についての抹消前の記載及び乙第四五号証の一ないし六、第四七号証の一ないし四によれば、藤村正につき三五五、七九〇円、大城正夫につき六三四、六一九円と認められる。そうするとその各差額は前記諸費用に相当するが、前記認定の、購入先への支払いが原告名義でなされた事実及び弁論の全趣旨によれば、本件では各関係購入先との取引額(原告主張額)では、右両名が負担した右費用相当分は除外されていないものと認められる。しかしその取引先も取引額も不明であって、その関係での修正は不可能なので、本件における収支計算上は下請代金中から右諸費用相当分を除外し、前記手取額を各外注費として扱うことが相当である。従って藤村正についての外注費は三五五、七九〇円、大城正夫についての外注費は六三四、六一九円と計上すべきこととなる。

甲第八号証の二、四及び乙第四九号証の一ないし一四によれば、別紙(二)付属2の外注加工費欄記載の丸伊建材も右と全く同様の関係にあり、計算上の請負代金額(三、四二五、一九五円)はともかく、手取額は抹消前の額である一、七八四、九一五円であったと認められるから、本件ではその外注費は右手取額と同額を計上することとする。

更に、同欄記載の奥田建材、坂下商店についても、甲第八号証の二によって認められる同人らについての月別の取引金額が前記藤村正、大城正夫及び丸伊建材のそれと似通っている事実並びにその頃の原告のダンプカー保有台数(同年一二月三一日現在二二台)と、原告の従業員中運転業務に従事していると認められる者(甲第一一号証等によれば、実働一五名以下のことが多い。)との対比により、右同様の関係にあったと認めるのが相当である。甲第八号証の二によれば、奥田建材の総請負代金額は一、八三三、六六二円、坂下商店の総請負代金額は二、〇四九、四六五円であると認められるところ、同人らの各手取額については、前記認定の三者についての平均手取率が約三七パーセントであることに照らして同人らの手取率を四〇パーセントと推定することとし、右手取率を前記各総請負代金額に乗じた奥田建材については七三三、四六四円、坂下商店については八一九、七八六円をその各手取額と認める。

又同欄記載の信太山建材については、後記認定のとおり、次期における右同様の関係に照らし、当期においても調整を行うべきであるが、甲同証により認められる総請負代金額一七七、七〇〇円に対する手取額としては、右取引額に次期手取率三、四九二、〇〇五分の二、六七五、三六一に近似する〇・七五を乗じた一三三、二七五円と認める。

同欄記載の取引先のうち新建材について検討すると、甲第八号証の二によれば、そこに記載された月別の取引額はいずれも連続して一〇万円単位(合計二〇〇万円)であって出来高払いが原則であると推測される原告の請負代金としては極めて不自然であり、右事実に、原告は同社の依頼によって同社に融通手形を振出し貸与していた事実(同社の代表者は原告の妻の父親に当る。)(いずれも原告本人尋問の結果認める。)を考え合わせると、右取引は金額上のもの(融通手形の振出)であったと認めるのが相当である。従って右二〇〇万円は経費として計上することはできず、同社については、甲同証の同社集計欄に記載されている五六一、五五二円のみを外注費として計上することとする。

更に前記認定の見地から同欄記載の他の取引先について見ると、高木貞次商店、佐竹組、市村商店、須藤工務店及び坂田商店については、甲同証によるその月別取引額に照らし、いずれも融通手形の振出が誤記された疑が濃厚といわなければならず、経費として計上しないことを相当とする。

同欄記載のその他の取引先については、特段の反証もないので、甲第八号証の二、四によって認められる同欄記載の各対応金額と同額の外注費を計上すべきである。

そうすると本件で認定すべき外注費は総計九、九五五、六六七円となる。

(五)  賃借費

別紙(二)付属2の一枚目賃借料欄記載のヤサカ重機(こと弥栄重機)について、次の理由によってその存在及び原告との取引関係を認めるべきである。

すなわち

(イ) 弥栄重機の存在と取引については、証人林正治が詳細に証言しているが、同証言は、証言自体前後に矛盾点はないし、原告本人供述との食違いもないこと、その証言の内容を検討しても、同社の事務所所在地の点は通常とはいい難いかもしれないが、ありえないことでもないこと、特に同社に発注した仕事内容について、本件工事が海面の埋立という特別の条件の中で、原告が所有していない特殊な大型建設機械を使用して行う仕事をさせたとの点は客観的にも肯定しうること等、とうてい架空の事実を構えて証言しているとは思えないのであって、これらの点を考えると、他にその信用性を揺がせる証拠のない本件では、右証言を採用せざるをえないこと。

(ロ) 同社が原告振出の手形を取立てたことがないという客観的事実は明らかであるが、この点については、原告本人は、同社は資金繰りが苦しく、原告との決済は現金か、信用力のある岡崎工業振出の廻り手形しか受け取らなかった旨供述するところ、右事実も十分ありうることであって、他に反証のない本件では右供述を採用するの他はなく、従って右手形の点も同社の存在と取引を否定する根拠とするに足りないこと。

(ハ) 原告は本件で昭和三六年における同社に対する外注費の支払いの証拠として領収書一三通(甲第三〇号証の一ないし一三)を提出する。ところで原告が本件でその立証として提出した領収書のうち谷口油店こと谷口文好発行名義の領収書(甲第三一号証の一ないし七)については、後記のとおりその作成の真正について疑がある。しかし同人又は同人を含む石油販売業者との間で、右領収書記載金額に添う取引の存在自体はこれを認めるべきこと又後記のとおりである。従って原告提出の領収書の中に疑のある領収書が存在する事実をもって、他の領収書に添う取引先の存在及び取引額を否定する根拠とはなしえないのである。付け加えれば、弥栄重機発行名義の右領収書については、これを検討し、且つ原告本人尋問の結果に徴したとき、右領収書の作成の真正について疑うべき根拠はないといわなければならない。

(ニ) 原告主張の同社に対する貸倒れの発生とその後の同社に対する債務の負担の矛盾点については、証人林正治の証言によれば、むしろ右貸倒れ時期を否定すべきものであって、債務の存在、すなわち同社との取引の存在を否定すべき根拠とはなしえないこと。

(ホ) 前記乙第五二号証及び証人金田誠の証言(第二回)によれば、昭和四〇年一〇月二五日同協議団の担当者が本件係争年頃原告方で経理関係を含む一般事務に従事していた岩本新二に面談して「八坂又は浅香重機」という名称の取引先を記憶しているかと質問したところ、同人は記憶していない旨を回答したことが認められるが、弥栄重機についての質問としてこれが適切であったかどうか疑問があるうえ、この点はさし置くとしても、他に記憶喚起の方法としてどれだけのことがなされたか明らかでない以上、同人の右回答をもって直ちに「弥栄重機」の存在と取引を覆すに足りる証拠とするには不十分であること。

以上の理由、特に同社が原告の本件埋立工事の中で遂行したとされる仕事の必要性を否定するか、又は岡崎工業振出の手形が同社に廻された可能性を否定するかの特段の事情が認められない限り、同社の存在と同社との取引は認めざるをえない。そしてその取引金額については前記甲第八号証の二により合計五八〇万円と認められ、これに反する証拠はない。

同欄記載の扶桑商工について、前記乙第六六号証によれば、同社は原告より工事を請負ったことがあること(同証欄外の書込みによれば、建設機械及び車輌持込みの工事であったことが認められる。)が認められ、これに反する証拠はない。その取引金額については、乙同証によれば、原告は当期同社に対して少くとも額面合計四、七六八、六九五円の手形又は小切手を振出していたことが認められ(当期末における支払手形の現在高は三通、額面合計三九七、五〇〇円であったことは当事者間に争はない。)、右事実によれば、かなり多額なものであったと推測される。但し乙同証によれば、原告と同社とは融通手形を交換する関係にもあったことが認められるのであり、これらを総合すると、甲第八号証の四の同社との取引額についての記載中、追加及び訂正前の金額を合計した五、〇六三、九二〇円をもってその取引額と認めるのが相当であり(なお右追加及び訂正後の取引額の合計は七、一四四、九四〇円である。)、乙同証中の、工事取引額は少額であったとの趣旨の記載は、これのみで右認定を揺すに足りず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

同欄記載のその他の取引先については、特段の反証もないので、甲第八号証の三、六、八、一〇によって認められる同欄記載の各対応金額と同額を賃借費として計上すべきである。

以上賃借費として合計一一、八〇一、九七八円を計上することとなる。

(六)  消耗品費

別紙(二)付属2の一枚目消耗品費欄記載の中野ゴムについて、前記甲第八号証の四には、同社との取引額につき合計三、四〇〇、三〇〇円に達する月別金額の記載が存する。原告本人尋問の結果によれば、右取引額には同社の代表者が個人で営んでいた中野タイヤからの現金仕入れ分が含まれていることが認められ、これに反する証拠はない。従って前記乙第二九号証によって認められる、同社から同協議団に対する右取引額が二、七八五、七一〇円(値引後)であった旨の報告の存在は、甲同証の右記載の採用を妨げず、他にこれを左右するに足りる証拠はないので、右記載金額を同社からの仕入れ額と認定すべきである。

同欄記載のその他の取引先については、他に反証はないので、甲第八号証の五ないし一〇によって認められる、山内タイヤにつき五、一五〇円、関西船具につき一四、五九〇円(いずれも同号証の七、月別金額の合計額による。)、その他につき同欄記載の各対応金額を消耗品仕入れ額と認め、これを消耗品費として計上する。

従って消耗品費は合計三、八四三、一四八円となる。

(七)  燃料費

別紙(二)付属2の一枚目燃料費欄記載の宮内油業について、前記乙第二八号証によれば、同社の原告に対する売上げ額につき、同社が同協議団に報告した金額は合計一一、九一二、七二八円(値引後)であったことが認められる。この点について前記甲第八号証の四の記載は合計一二、八一七、八六八円であるところ、原告本人尋問の結果によれば、右金額の差の主な原因は、同社が原告の埋立工事現場に直接納品した燃料油中の現金払い分の計上の有無にあると認められる(なお原告本人は、他の原因として年末における勘定締切日の相違の可能性を指摘する供述をするが、原告が年内に関係する仕入れ分については年が改ってからの請求であっても年内分として計上する経理処理方法をとっていたと認めることのできる明確な証拠がない本件では、右可能性は斟酌し難い。)が、証人林正治の証言及び弁論の全趣旨によれば、特に同年秋頃以降原告の埋立現場工事の施行は前記弥栄重機等外注(又は運転手、燃料等持込みの建設機械の賃借)が主力であったと認められるので、右現金払い分を原告の仕入れ分として計上する根拠は乏しい。他に同社の前記報告額を取引額と認定する妨げとなる証拠はないので、同社につき、右報告額と同額の一一、九一二、七二八円を計上することとする。

同欄記載のその他の取引先については、他に反証はないので、甲第八号証の三、四、一〇によって認められる、山本石油につき八八四、三六〇円、真知石油につき一、八七〇、八四六円(いずれも同号証の四、月別金額の合計額による。)、その他につき同欄記載の各対応金額を燃料仕入れ金額と認め、これを燃料費として計上する。

従って燃料費は合計一五、三〇六、〇一四円となる。

(八)  修理費

別表(二)付属2の一枚目修繕費欄記載の三菱ふそうについて、前記乙第五四号証の二によれば、同社は同協議団に対して、同社の原告に対するパーツ修理代売上げ額を二八八、三七六円(三、六七四円の相殺前、なお同社に対する八、〇〇〇円の売上げを計上したことは前記のとおり。)と報告したことが認められる。一方前記甲第八号証の五には、総額一、三六八、三七七円に達する月別修繕費取引金額の記載がある。しかし前記乙同号証の三によれば、甲同証の右記載中一〇五万円は、原告がその頃同社から購入した建設機械(別紙(一)付属4記載番号8、9、18の各機械)の頭金を修繕費中に誤計上したものと認められ、右誤計上の存在に照らせば、その余の差額についても甲同証の記載を採ることができず、他に同社の前記報告金額を同社の原告に対する修理代金と認定する妨げとなる証拠はない。よって同社についての修理費を右二八八、三七六円と認め、これを修理費に計上することとする。

同欄記載の東海自動車について、前記乙第三〇号証によれば、同社の同協議団に対する原告関係売上金額についての報告額は三七二、〇〇〇円(減額後)であったことが認められる。一方甲同号証の四に記載された同社との修繕取引金額は合計一、〇七二、〇〇〇円である。右差の原因は乙同号証及び甲同証を対比すれば、四月三〇万円、五月四〇万円の修繕費支払いの原因となる修繕の有無であるが、同社が右のようなまとまった修理売上げを脱漏するとは考えられないので、右売上げは存在しなかったものと認め、原告の同社に対する修繕費は三七二、〇〇〇円であったと認定する。他にこれに反する証拠はない。

同欄記載の堺車輌について、前記乙第三一号証によれば、同社の協議団に対する原告関係修理代売上金額についての報告額は一八四、四六二円(減額後)であることが認められるところ、甲同証には、同社に関し、総額二六二、四三八円に達する修繕費支払額の記載があるが、弁論の全趣旨により右報告額一八四、四六二円を正当と認める。他にこれに反する証拠はない。

同欄記載のその他の取引先については、他に特段の反証はないので、甲同号証の二ないし一〇により、泉谷電機につき二七二、八五五円、大阪いすゞ(いすゞ大阪)につき二、七四二、九二〇円、勇崎につき五一、六八〇円、川崎自動車につき四四七、二二〇円(以上同号証の四)、のこわにつき二二、二〇七円、寺内ガラスにつき四二、七三五円(以上同号証の五)、日本重機につき九三、四九二円(同号証の六)、陸整につき二八七、六五〇円(同号証の七)、堺オートにつき九三、〇〇〇円、川原田につき四、二二五円、堺POPにつき、六二、九一〇円(以上同号証の八)(各月別金額の合計による。)、その余の取引先につき同欄記載の各対応金額を修理費と認め、これを修理費科目に計上する。

以上修理費は合計一五、九六八、八五五円となる。

(九)  運搬費

別紙(二)付属2の二枚目運搬費欄記載の各取引先については、他の特段の反証はないので、前記甲第八号証の四ないし九により、西田組につき三二五、五六五円(同号証の四)、溝畑につき四一、〇四五円、勝間組につき五四、四〇〇円(以上同号証の五)(各月別取引額の合計による。)、その余の取引先につき同欄記載の各対応金額と同額の運搬費の支出を認める。

以上計上すべき運搬費は合計四、三七八、七六三円となる。

(一〇)  その他の経費

別紙(二)付属2記載の経費中その余の費用(但し利息割引料については後記)及び保険料については、前記甲第八号証の二ないし一〇及び弁論の全趣旨により次のとおり認められ、これに反する証拠はない。

(1) 公租公課

同欄記載の各税につき、各対応金額欄の金額の支払いを認め、その合計額八八、〇八〇円を経費として計上する。

(2) 水道光熱費

水道費については、甲同号証の二、八記載の支払金額合計八、九四〇円中六、〇〇〇円を限度に事業専用性を認めるのが相当である(昭和三六年分とも対比)。

ガス費については、合計一三、〇五六円を、電気料については三、〇一〇円を認める。

以上水道光熱費として合計二二、〇六六円を計上する。

(3) 旅費交通費

通話料として合計二三四、七四七円を、切手代として七四〇円を、交通費として六、五四三円の経費計上を認める。

従って旅費交通費として合計二四二、〇三〇円を計上する。

(4) 広告宣伝費

同欄記載の各取引先につき、各対応金額欄記載の金額の支出を認める。

従って広告宣伝費として三六、〇八〇円を計上する。

(5) 接待交際費

アトラスにつき合計一〇、八三〇円を、その余につき、同欄各対応金額欄記載の各金額の支出を認める。

従って接待交際費として合計五四二、五三七円を計上する。

(6) 保険料

日本生命(甲同号証の二)及び住友生命(甲同号証の七)について、各保険料の支払いは認められるが、これを経費として計上することは相当でない。火災保険(甲同号証の一〇)については、三、五〇〇円の保険料支払いが認められるところ、その二分の一の額である一、七五〇円について事業専用性を認めて、これを経費として計上する。

トヨタにつき一六九、六六二円(甲同号証の二、前記乙第三九号証の二)、自動車保険につき三六八、二一八円(甲同号証の五)、安田火災につき二九〇、六六五円、日産火災につき六四、三〇〇円、日新火災につき六五三、五六六円(以上甲同号証の一〇)の各保険料の支払を認める。

以上保険料として一、五四八、一六一円を計上する。

(7) 事務用品費

一条文具店につき、八四、三二〇円の支払いを認め、これを経費に計上する。

(8) 福利厚生費

国民健康保険(甲同号証の五)については、その経費性が不明であるから除外し、健康保険料六二二、五五三円、労災保険料三八、八四〇円(以上甲同号証の五)、尾崎ふとん店につき一九九、四六〇円(甲同号証の二、五)、高島屋につき四八、三六〇円、帝産オートにつき四五、〇〇〇円、丹司産業につき七、二九〇円、大信建設につき五〇、一〇〇円(甲同号証の七)の各支出を認める。

従って福利厚生費として計上すべき金額は、合計一、〇一一、六〇三円となる。

(9) 雑費

同欄記載の事故保証(甲同号証の六)については、別途賠償金の計上がある本件では、趣旨、内容とも不明であるから計上しないこととする。

村岡について二六一、七六〇円(甲同号証の五)、岡崎工業につき五六、一二三円(甲同号証の八)、労務事務協会につき一八、七〇〇円(甲同号証の五)、三英木工につき二九、五〇〇円(甲同号証の七)、建設新聞につき三、四〇〇円、泉州日報につき二〇〇円(以上甲同号証の九)同欄記載のその余の取引先につき、同欄各対応金額欄記載の金額の支出を認め、これを経費として計上する。

従って雑費として計上すべき金額は七七九、八二五円となる。

(一一)  利息割引料

別紙(二)付属2の一枚目利息割引料欄記載のトヨタ、大阪いすゞ及び三菱ふそうについて、前記甲第八号証の二、三には、合計額が同欄記載の各対応金額になる各月別支払利息金額の記載がある。しかし前記乙第三九、第四〇号証の各二、第五四号証の三及び当事者間に争のない別紙(一)付属7支払手形明細Ⅰ、一二月三一日現在における右各社所持の原告振出手形の状況並びに弁論の全趣旨を総合すると、右記載金額は、原告が右各記載月に購入した車輌又は建設機械の延払利息であるが、同月一括して支払ったわけではなく、いずれも本体の価額と合算し、右合算額を均等分割払いしたものであって、その支払も当期中には終了せず、従って当期中に支払われた割賦金中利息部分は明確ではないことが認められ、これに反する証拠はない。右事実によれば、甲同号証の右記載をもって右各社に対する利息支払いと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。よって右各社に対する利息は計上できない(その反面として、右利息相当額を減価償却資産の取得価額に算入できることはいうまでもない。)

同欄記載の国民金融公庫(国金)について、甲同号証の五には、合計二六七、二三六円に達する同公庫に対する支払いの記載がある。しかし同公庫からの借入元金が一月一日現在四〇万円、一二月三一日現在一六万円であること(別紙(一)付属9借入金明細)は当事者間に争がなく、その間に右借入元金が一旦増大したと認めるべき証拠のない本件では、右借入元金は均等額宛の弁済により期末現在高まで順次減少していったものと認められる。そうすると右記載の支払額が全額利息であったとは到底認められず、その間の元金弁済額二四万円(一か月二万円宛)が含まれていると認めなければならない。従って右支払額中利息部分は二七、二三六円と認めるべきである。他にこれに反する証拠はない。

同欄記載の堺市互助会(互助会)について、甲同号証には、一月三万円、六月三一、〇〇〇円、九月二三、〇〇〇円、一二月二三、〇〇〇円の支払記載(合計一〇七、〇〇〇円)がある。しかし同会からの借入元金が一月一日現在二二万円、一二月三一日現在三五二、〇〇〇円であること(同明細)は当事者に争はなく、右元金額及びその変動状況に照らせば、右支払額全額を同年分の利息と認めるのは不合理である。右元金額及び支払いの推移を総合して、一月三万円の支払いを前年一二月履行期の分と認めるのが相当であり、他にこれに反する証拠はない。従って同会に対する支払利息として七七、〇〇〇円を計上する。

同欄記載のその余の借入先(但し大信建設は甲同号証の七の記載に従って福利厚生費に計上した。)について、他に特段の反証はないので、甲同号証の六、一〇により、同欄記載の各対応金額の利息割引料の支払いを認める。

以上、利息割引料として合計一、〇四三、九七五円を計上する。

(一二)  貸倒金

別表(二)付属4昭和三五年度貸倒金表記載の貸倒金については、藤岡彰子の証言により真正に成立したと認められる甲第一二号証及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告は同表記載の三社に対する売掛金債権合計一、〇五八、一九四円を有していた(債権発生はいずれも前年以前)ところ、右三社は倒産し、右各債権全額の回収不能が明らかになったことが認められ、更に前記認定の西岡土工に対する売掛金一〇四、二〇〇円についても、前記乙第四一号証により、これが不渡り倒産して全額回収不能となったことが認められ、これに反する証拠はない。

従って右回収不能債権合計一、一六二、三九四円を貸倒金として経費中に算入する。

(一三)  事故賠償金

別紙(二)付属5昭和三五年度中事故明細記載の事故賠償金については、前記乙第六〇号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告方の運転手の自動車運転は近所でも恐れられる程乱暴であって、事故を頻発していたことが認められる(これに反する証拠はない。)ところ、証人藤岡彰子の証言により真正に成立したと認められる甲第一三号証、同証言及び同本人尋問の結果によれば、原告の被用運転手又は外注運転手が就業中同付属明細番号1、3ないし6、9ないし15記載の事故を起し、このために原告は、自賠責保険金以外に、各対応金額欄記載の賠償金合計三、一二三、四〇〇円を支払ったことが認められ、これに反する証拠はない。番号2、6、7については、前記甲第一一号証及び同証言並びに同本人尋問の結果によれば、その加害車運転手とされている者がいずれも原告の被用者である(従って車輌持込みとは認められない。)にもかかわらず、その加害車輌が別紙(一)付属5車輌運搬具明細Ⅰ(原告所有者であることは当事者間に争がない。)中に含まれていない事実に照らし、趣旨不明として採用しない。

従って右賠償金三、一二三、四〇〇円のみを、事故賠償金として経費中に算入する。

(一四)  減価償却費

(1) 建設機械

別紙(一)付属4建設機械明細中、番号2ないし10の各建設機械については、その取得年月、取得価額及び期首、期末の価額とも当事者間に争はない。同番号1のバケットコンベアについては、証人金田誠の証言(第一回)により真正に成立したと認められる乙第一二号証及び同証言(同回)によれば、昭和三三年四月一七五万円で取得したことが認められ、これに反する原告本人尋問の結果は不明確であって採用し難く、他にこれに反する証拠はない。従ってその期首、期末における簿価は同明細Ⅰ当該欄記載のとおりとなる。同番号18ないし21の各機械については、岡崎工業から、ブルドーザー及びパワーショベルの配備を発注の条件とされたため、昭和三四年九月、急遡これら建設機械を買増した旨の原告本人の供述は肯認しうるところ、同本人尋問の結果及び弁論の全趣旨に照らし、番号18の機械は同19の機械と、同21の機械は同3の機械と同一のものと認めるのを相当とする。右同19の機械については、同本人尋問の結果により、取得価額を二〇〇万円、中古品と認め、従ってその耐用年数は二年とするのが相当であるから、期首の価額は一七〇万円となる。そして前記乙八一号証によれば、右機械は一二月、小松製作所から同10の機械を購入する際五七万円で下取りに出したと認められる(これに反する原告本人の供述は採用できず、他にこれに反する証拠はない。)。そうするとその処分時の簿価は八〇万円であり、その間の減価償却費は九〇万円である。同20の機械については、同機械の処分に関する原告本人の供述は採用し難く(一二月か昭和三六年頃扶桑商工に修理代の代物弁済として取ってもらった旨供述するが、その頃原告が同社に対し修理代債務を負担していたと認めるべき証拠はない。)、従ってその取得についての供述も直ちに措信できないところ、他に右取得を認めるに足りる証拠はないので、本件では右機械は存在しなかったものとする。

以上当期建設機械の減価償却費は、合計四、九〇八、三一〇円(同明細Ⅰ当期減価償却費合計欄記載額四、〇〇八、三一〇円に前記同19の機械の減価償却費九〇万円を加算)となる。

(2) 車輌運搬具

別紙(一)付属5車輌運搬具明細Ⅰ番号1ないし29の各車輌についての取得年月、取得価額、期首及び期末の各価額についてはいずれも当事者間に争がなく、同1ないし4、9の各車輌が当期中に処分され、右処分時の簿価が同明細対応欄記載のとおりであることは原告も争わない。同明細Ⅲ番号45ないし47の各車輌については、当期中も興亜コンクリート専属の運搬に供していた旨の原告本人の供述は、前記認定の同社との取引の経過に照らして採用できず、他に右各車輌が当期なお存在していたと認めるに足りる証拠はない。

以上当期車輌運搬具の減価償却費は、同明細Ⅰ当期同償却費合計欄記載のとおり合計八、三三一、七九九円となる。

(3) 従って当期営業用資産の減価償却費は合計一三、二四〇、一〇九円となる。

(一五)  資産譲渡損失額

(1) 建設機械

同建設機械明細番号19(18)のブルドーザーにつき、前記のとおりの経緯で二三万円の譲渡損が認められる。

(2) 車輌運搬具

同車輌運搬具明細Ⅰ番号1ないし4の各車輌の処分価額が二〇〇万円であったこと、同9の車輌の処分価額が七〇万円であったことは、いずれも原告の明らかに争わないところであり、従って右各車輌について前記処分時簿価と照らし合わせると、その各譲渡損は同明細Ⅰ当期譲渡損失額欄記載のとおりであり、その合計額は一、九七七、〇三四円となる。

(3) 従って当期資産譲渡損失額は、合計二、二〇七、〇三四円となる。

(昭和三六年分)(以下同年分については年の記載を省略する。)

(一)  売上げ

別紙(二)付属6記載昭和三六年度売上明細(前記甲第一四号証と同一内容)(但し末尾の大阪チェーンブロックに対する売上げは別記。)の四九取引先に対する総売上げ額一一四、五八〇、二〇四円の存在は原告の自認するところである。

ところで同年の売上げについても前記乙第四一号証の四ないし六と同売上明細の各記載との間には食違いが存する。すなわち同乙証には同売上明細にない岡井工務店二二〇、〇〇〇円、吾妻運輸一二五、八〇〇円、(?)製作所二四、〇〇〇円、吉田組三一二、八二〇円、新和建設二二七、七〇〇円、弥栄金属二〇、〇〇〇円、大和鉱産三九、〇〇〇円の各売上げ記載が存在する(逆に乙同証には弥栄重機九六九、三二〇円の記載はない。)。原告本人尋問の結果によれば、乙同証と同売上明細の基礎となった甲第一四号証との関係については、前記乙第四一号証の一ないし三と甲第九号証との関係と同一と認められるところ、右関係では前記食違いの説明は不可能であるから前記七取引先合計九六九、三二〇円の売上げは前同様甲第一四号証への記載漏れと認めるのが相当である。

更に乙同証には、その記載取引先のいくつかにつき取引額欄に赤インク等の書込みがあり、証人金田誠の証言(第二回)によれば右書込みは同協議団の本件担当者が各取引先に対する照会等の調査により、原記載とは異る結果をえた分について記載したものと認められるので検討すると、

(イ) 岩出建設(同号証の四、上から五番目及び一七番目)

一月分一七〇、七二〇円の書込みについては、同号証の一と照合すると、昭和三五年一二月分の売上げとしてすでに計上されている右同額の取引と同一の取引と推測される。二月分一三八、八八〇円の書込みについては内三八、八八〇円は同年一月分がずれたものと認められるが、残金一〇万円については原記載の脱漏と認められ、右同額同付属6の記載に訂正が必要である。その余の書込みは一か月ずつのずれに過ぎない。

(ロ) 太洋建設工業(同号証の四、上から八番目及び一三番目)

右調査結果(赤字によるチェック及び書込みの合計二、〇七一、七八八円)の方が同明細の記載(合計三、〇九五、七八八円より少額であるから訂正不要である。

(ハ) 菅原組(同号証の五、上から一一番目)

同売上明細の記載と対比して四七、一六一円の追加修正が必要である。

(ニ) 大盛工業(同号証の六)

右書込みは五月から八月まで各月四〇万円宛である(いずれも手形、小切手調査によるものと思われる。)(前記乙第四二、四三号証によれば、内金五二九、〇〇〇円が大盛工業(所在地名古屋市中川区長良町三ノ一九〇)から原告の前記三和銀行堺東支店の原告口座に入金したことは明らかである。)。右入金について、原告本人はその頃名古屋所在の会社と取引したことはないから、いずれも廻り手形であると思われる旨供述するが、同売上明細を検討すると、当時右金額に対応する可能性のある売上先は、岡崎工業のみであるところ、同社がその支払いに他社振出の手形を廻すような会社であるとはたやすく信じられないから、右供述は採用できず、他に右書込額を売上げに計上することにつき妨げとなる事実を認めるに足りる証拠はないので、右一六〇万円を加算するのほかはない。

(ホ) 象印チェーンブロック(旧大阪チェーンブロック製作所)(同)

三月分として一、〇〇〇、〇〇〇円、四月分として一、二〇〇、〇〇〇円の書込みが存在し、いずれも成立に争のない乙第六一号証の一、二、五、六によれば、同社は昭和五四年八月二八日付でその頃右書込みに対応する各金員を盛土工事代として原告に支払った旨の回答を大阪国税局の本訴担当者に回答し、原告もその頃右に添う昭和三六年三月一日付及び同年四月一五日付領収書各一通を発行したことが認められる。しかし原告本人尋問の結果真正に成立したと認められる甲第四〇号証及び成立に争のない同四一号証の一、二並びに同本人尋問の結果によれば、原告の右領収書の発行は、後記認定のように、同社がその頃原告から土地を購入するのに当りその買入れ資金の不足分の融資を受ける必要上、同社に協力するために行われたものであって、同社はこれに対応する工事代金債務を負担した事実もないし、これを支払った事実もないこと(なお右土地売買代金の完済はその契約文言どおり実測が完了し、移転登記手続のなされた同年一〇月二五日頃に行われたものと推測される。)、同社の同国税局担当者に対する前記回答は、突然の調査に会い、古い頃の記憶を喚起しないまま、保存されていた右領収証のみに基づいてなされたものであることが認められ、これに反する証拠はない。従って右書込みに基づく売上げ加算は行うべきではない。

(ヘ) 丹司産業及び小松製作所(同)

右各社についての書込み合計七八、〇〇〇円は、これを売上げに加算すべきである。

以上が右書込みについての必要と思われる検討結果である。

更に別途の検討を加えると、奥村組土木興業に対する同年一二月三一日現在における売掛金二、二六〇、五六〇円の存在については当事者間に争がなく(別紙(一)付属2売掛金明細)、前記乙第三二号証によれば、右売掛金は同売上明細記載の同社に対する売上げ以外の売上げであって、同年の収入に含むべきものと認められるから、右売掛金相当額について追加が必要である。

ところで同売上明細の最末尾欄に大阪チェーンブロック(象印チェーンブロック)に対する合計一二、〇〇〇、〇〇〇円の売上げ記載が存する。当事者間に争のない事実及び前記乙第六一号証の一、二、いずれも成立に争のない乙同号証の三、四、乙第八三号証、いずれも原告本人尋問の結果真正に成立したと認められる甲第一九号証の二、第三八、三九号証、同本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告は同年別紙(一)付属6記載番号2ないし14の土地を代金一二、〇一〇、六〇〇円で、前記象印チェーンブロックに売却したこと(当事者間に争はない。)(右売却地には他に同字三〇四番地の一の土地が含まれる。)、右土地は昭和三五年八月頃、尾崎好雄の斡旋で、原告が埋立用の山土を採取する目的で金六、七〇〇、〇〇〇円を出捐して前所有者から所得し、直ちに三〇〇、〇〇〇円を支出して同地上に植栽されていた樹木を伐採排除したこと、原告から同社に対する売却は昭和三六年二月一〇日であり、右売却に当って原告は仲介者に手数料として二六一、一〇〇円を支払ったこと、以上の各事実が認められ、これに反する証拠はない。そして原告所有の間に右土地から山土を原材料として採取したとの確証はないから、その間に減価はなかったものとして取扱うのが相当であり、従って原告は右土地の売却によって四、七四九、五〇〇円の譲渡益をえたということができるところ、右事実を総合すれば、右土地はなお棚卸資産性を失わないものとして、右譲渡益と同額を当期の売上げに算入することとする。

他に売上げを認めるべき証拠はなく、従って原告の当期事業収入は一二二、七八四、七四五円となる。

(計算式)

一一四、五八〇、二〇四+九六九、三二〇+一〇〇、〇〇〇+四七、一六一+一、六〇〇、〇〇〇+七八、〇〇〇+二、二六〇、五六〇+四、七四九、五〇〇=一二四、三八四、七四五

(二)  原材料費

(1) 期首棚卸高

前期末棚卸高と同額の三七七万円である。

(2) 当期材料仕入高

原本の存在、成立とも争のない乙第一八号証、原告本人尋問の結果真正に成立したことが認められる甲第二〇号証の二、第二一号証の一五、証人宮本益美の証言により真正に成立したと認められる乙第一七号証及び同本人尋問の結果によれば、原告は別紙(一)付属3原材料明細Ⅲ、番号30の山土を買入れる旨約し、金一〇万円を支払ったことが認められ、これに反する証拠はない(当期買入れた土地については前期と同様の取扱いとする。)。

その余について検討すると、前記甲第八号証の一四には紀の川口砂利からの仕入れ高は合計七七二、九五四円と記載されているが、前記乙第三四号証によると、同社から同協議団に対する原告関係売上額についての回答額は六〇九、〇七二円であったことが認められる(月別にすると相違するのは四月分及び五月分についての支払((但し支払時期は一月遅れと推測される。))だけであって、その他の二月、三月分及び一二月分の各支払い額は一致する。)。しかし右食違いについては、原告本人尋問の結果、同社の会社担当者がまだ出勤していない早朝の買付の場合は居合わせた同社の積込み作業員に現金払いしていたため、右現金払いの分が同社の帳簿上原告名義として明示されなかったことが認められる(これに反する証拠はない。)ので、甲第八号証の一四の記載を採用すべきである。同号証の一一ないし二〇によれば、同社分を含み別表(二)付属7の一枚目材料費欄記載の各取引先から各対応金額欄記載の金額の原材料を仕入れたこと(合計一二、九六六、三二五円)が認められ、これに反する証拠はない。さらに同号証の一三によれば、森田組から合計九一五、三九九円の原材料を仕入れたことが認められる(これに反する証拠はない。)ので、当期材料仕入高は総計一三、九八一、七二四円ということになる。

(3) 期末棚卸高

別紙(一)付属3、番号12、13、16ないし25、30各記載の山土については合計一六〇万円相当の分が期末に残存したことは当事者間に争がない。官署作成部分については成立に争がなく、その余の部分については証人金田誠の証言(第一回)により真正に成立したと認められる乙第二二号証及び原告本人尋問の結果によれば、同番号14・15及び26記載の山土は四四万円相当が残存したことが認められ、これに反する証拠はない。さらに同本人尋問の結果によれば、同材料費欄上から九番目に記載された尾崎好雄との取引は山土であったところ、同年中には全く採取されていないことが認められるので、右仕入額相当の七、二八二、〇〇〇円は期末棚卸高に算入しなければならない。

その他の原材料の期末棚卸高については、弁論の全趣旨により一四〇万円(原告主張の期末商品棚卸高と同額)と認める。

そうすると期末棚卸高の総計は一〇、七二二、〇〇〇円となる。

(4) 従って当期材料費は、期首商品棚卸高三七七万円と当期材料仕入高一三、九八一、七二四円の合計額から、期末商品棚卸高一〇、七二二、〇〇〇円を差引いた七、〇二九、七二四円となる。

(三)  労務費

(1) 給料

前記甲第一六号証、証人藤岡彰子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は前年と同一の理由により排除すべき藤村正を除く別紙(二)付属8昭和三六年度給料明細記載の延三三人の従業員に合計三、〇二九、五一七円の給料を支払ったことが認められ、これに反する証拠はない。

(2) 工賃

成立に争のない甲第七号証、証人藤岡彰子、同高部博至の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は前期同様日々数十人の労務者を雇入れ、その人夫賃として七、二二四、八〇七円を支払ったことが認められ、他にこれに反する証拠はない。

(四)  外注費

別紙(二)付属7の二枚目外注加工費欄記載の福本商店、大倉組、丸伊建材及び信太山建材については、甲第八号証の一一に同人らについての外注費の記載(福本商店について合計六六二、四三九円、大倉組について合計九一〇、〇八六円、丸伊建材について五一一、五二〇円、信太山建材について三、四九二、〇〇五円)が存在する一方で、同号証の一三、一四、一八には同人らについての抹消記載(福本商店合計三三七、四二五円((同号証の一三))、大倉組合計三〇二、三九七円((同一八))、丸伊建材について八五、〇〇〇円((同一四))、信太山建材について二、六七五、三六一円((同一三))が存在する事実に照らすと、前年分において認定したと同様の事情が同人らについてあり、多額の方は計算上の請負代金額、少額の方は燃料費、修理費、消耗品費等の諸費用を控除された後の手取金額と認められる。従って前年分と同一の理由により、本件では手取額の方を外注費として計上すべきである。結局福本商店三三七、四二五円、大倉組三〇二、三九七円、丸伊建材八五、〇〇〇円、信太山建材二、六七五、三六一円ということになる。

同欄記載の大城商店(こと大城正夫)については、甲同号証の一一に合計三、七〇二、四九四円の取引金額の記載が存在するが、右金額は同人に対する計算上の請負代金額と認められる。そうすると同人について計上すべき外注費は前年と同様の理由により手取金額としなければならないが、前記乙第四八号証の四によれば、同人が原告方で働いている間、規定の代金支払日に支払いを受けた金額は多くて六万円ないし七万円で、生活費は前借りをしていたことが認められ、又前年の前記認定の手取額総計六三四、六一九円は、甲第同号証の四及び乙第四七号証の一ないし四によれば、七か月にわたって支払いを受けた結果であったことが認められるので、これらを総合すると、前借りも含めた実質的手取り額を一か月九万円と認めるのが相当である。甲同号証の一一によれば、同人は一二か月働いたと認めるべきであり、従って同人の外注費は一〇八万円となる。

又同欄記載の奥田商店は、前年分の奥田建材と同一取引先と推認すべきであり、従って同人に対する記載額一九七、三〇〇円(甲同号証の一一)の四割相当の七八、九二〇円を外注費として計上する。

同欄記載の新(新建材と同一と推認される。)四〇万円の支払金額については、甲同証にその記載(三月に一口として記載)が認められるが、前年分についてと同様これを計上しないこととし、同欄もう一方の支払いについてのみ甲同号証の一三により八二四、六五七円を認めるのが相当である。

更に同欄記載の高木商店、山崎建設及び大和工業についても、いずれも同同号証の一一記載の月別記載金額が外注代金として不自然な事実に照らし、融通手形振出の誤記載の疑い濃厚なるものとしてこれらを計上しないこととする。

同欄記載の弥栄重機についての取引関係を認めるべきことは前年同様であり、その取引金額についても甲同号証の一一及び前記甲第三〇号証の一ないし一三に記載されている月別の金額は、同社が関った岡崎工業と奥村組土木興業(原告本人尋問の結果によれば、同社は岡崎工業及び他二社と並んで本件埋立工事の元請業者であることが認められるが、次表記載の九月以降の同社に対する売上げの発生とその増大には、特殊な建設機械による請負工事を行っていた弥栄重機が岡崎工業に対するのと同様関からざるをえなかったものと推認される。)に対する月別売上げ金額(甲第一四号証、乙第三二号証)を対比(次表のとおり)してもとりたてて矛盾点は見出せず(なお一月、二月について開きがあるのは年末年始の関係で締切日がずれたためと思われる。)、他に反証はないので、右記載のとおり認めざるをえず、そうすると同社についての外注費は二九、〇三七、〇〇〇円を計上すべきこととなる。

<省略>

<省略>

同欄記載のその余の取引先については、特段の反証もないので、甲第八号証の一一、一五ないし一七、一九によって認められる同欄記載の各対応金額と同額を外注費として計上すべきである。

以上総合すると外注費総額は四五、六一九、六八九円となる。

(五)  賃借費

別紙(二)付属7の二枚目賃借料欄記載の脇田機械について、前記甲第八号証の一一には八月に同社に対して一八四万円を支払った旨の記載があるが、前記乙第五三号証と対比すると、右記載はそのころ同社より買入れたディーゼルハンマーの代金残債務を誤記載したものと認めるのが相当であるから、賃借料とし計上できない。但し乙同証には、同社はその頃原告から別に額面二七、〇〇〇円の手形の振出を受けていた旨の記載があり、右記載と、当事者間に争のない期末における原告から同社への未払金一六、七四〇円の存在を総合すると、何らかの機械に関連して右二七、〇〇〇円の仕入れがあったことは認めなければならない。従って右仕入れを賃借料科目に計上することとする。

同欄記載のその余の取引先については、他に反証はないので、甲第八号証の一三、一七によって認められる同欄記載の各対応金額と同額を賃借料として計上することとする。

従って賃借費は合計二五四、六〇〇円となる。

(六)  消耗品費

別紙(二)付属7の一枚目消耗品費欄記載の中野ゴムについては、前年分と同理由に前記甲第八号証の一三記載の同社との取引額合計九三九、一二〇円を同社からの仕入れ額と認めるべきであり、前記乙第三五号証による、同社から同協議団に対する報告金額四四四、五五〇円(乙第二九号証と対比して、当年への繰越金一六〇、一一〇円を一月分の売上げ金額に加算した。)は右認定を妨げず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

同欄記載のその他の取引先については他に反証はないので、甲同号証の一二、一四ないし二〇によって認められる同欄記載の各対応金額と同額但し勇崎については一五三、九八三円(同号証の一二、月別金額合計額)を、消耗品仕入れ額と認め、これを消耗品費として計上することとする。

従って消耗品費は合計九、五八八、一六〇円となる。

(七)  燃料費

別紙(二)付属7の一枚目燃料費欄記載の谷口石油を除くその他の取引先について、他に反証はないので、前記甲第八号証の一二、一四、一六ないし二〇によって認められる、岩本につき九、四三〇円(同号証の一二)、長沢石油につき二一、三〇〇円(同号証の一九)(いずれも月別金額の合計による。)、その他につき同欄記載の各対応金額を燃料仕入れ額と認め、これを燃料費として計上する。

同欄記載の谷口石油こと谷口文好との取引額について、甲同号証の一六には同人からの仕入額として、六月一〇二、四〇〇円、七月三五一、〇〇〇円、八月二〇二、〇〇〇円、九月九三万八、〇〇〇円、一〇月一、〇六四、九〇〇円、一一月八八二、七一五円、一二月二、二九六、三五二円(合計五、八三七、三六七円)の記載が存し、原告は右記載に添う同人作成名義の領収書七通(甲第三一号証の一ないし七)を提出する。しかしいずれも官署作成部分については成立に争がなくその余の部分については証人前田全朗の証言により真正に成立したと認められる乙第八五号証の一、二によれば、右領収書用紙が始めて市販されたのは昭和四一年頃であったことが認められ、これに反する証拠はない。これらの事実に照らせば、右領収書の作成の真正には疑いがもたれ、甲第八号証の一六の記載も直ちに採用することは困難である。そこで更に検討すると、前記乙第五六号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は谷口石油が開店した六月から同人と継続的に取引を始めたこと、その取引高は八月までの間に一か月平均二〇万円余に当る六五五、四〇〇円(甲同号証の一六記載のとおり)と認めるのが相当である。九月以降の分については、甲同号証の一二、一四、一六ないし二〇によれば、谷口石油名義の前記取引記載額が増加し出した同月分以降、他からの仕入額が激減していることが認められる。一方その頃原告方で燃料仕入れが不要になった等の特段の事情は認められない。さすれば右減少に見合う分は他のいずれかから仕入れたことは明らかである。ところで原告が同年期末において谷口石油に対し、振出日同年一〇月一四日、支払期日昭和三七年一月三一日、額面三〇万円の手形他二通、額面合計一、四八二、七一五円の支払手形を振出していたこと(他に同人に対する未払金も四六九、二〇六円存在した。)は当事者間に争がなく、又同欄に取引先として記載のない大忠石油が五通、額面合計二、三六七、七三五円の、山川石油が二通、額面合計四五万円の各原告振出の支払手形を所持していたことも当事者間に争がない。そうすると一〇月以降に振出された燃料仕入れに関係すると推認される右手形(弁論の全趣旨によりすべて同月以降振出されたものと認める。)金額は合計四、三〇〇、四五〇円に達することになるが、右金額は谷口石油名義の同月以降の取引額の合計額四、二四三、九六七円と隔りはない。これらの事実を総合すると、原告は、九月以降前記認定の同欄記載の取引以外に、谷口文好(前記大忠石油及び山川石油各所持の手形が谷口から廻された手形ではないとの証拠はない。)、もしくは全量が同人からではなかったとしても、同人を含む取引先から甲同号証の一六記載の一六記載の谷口石油の取引額と同額の燃料を仕入れたと認めるのが相当である。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。本件ではこれを谷口石油一本として計上することとし、その計上額は五、八三七、三六七円ということになる。

よって燃料費は合計一五、九六一、七二九円である。

(八)  修理費

別紙(二)付属7の一枚目修繕費欄記載のニッキ重車輌につき、前記乙第三三号証によれば、同社の同協議団に対する原告関係修理代金決済額についての報告額は三、八三一、一九〇円(期首残高二二、〇八〇円に対する分を含めた六五九、四五五円の値引後)(期末〇)であったことが認められる。一方前記甲第八号証の一二には、同社に関し、総額四、六八二、三八〇円に達する修繕費支払の記載があるが、右記載を乙同証によって検討すると、三月分につき一、一九〇円の誤記があるほか、九月分については、同社から八五万円の支払請求を受けたのに対し、原告は修理にクレームをつけて支払わなかったのにもかかわらずこれを記載した誤りがあることが認められ(右クレームについては、その後の修理に対する代金と合わせて一一月及び一二月に合計四〇万円を支払うことにより決着がついた。)、これを補正(値引分を減額)すれば、結局は両者は一致することになる。従って同社に関する修理費は前記報告額と同額の三、八三一、一九〇円と認めるべきである。これに反する証拠はない。

同欄記載のその余の取引先については、他に反証はないので、甲同号証の一一ないし一九により、同欄記載の各対応金額を各社に関する修理費と認める。

以上修理費として計上すべき金額は合計一七、八一四、六一一円となる。

(九)  運搬費

別紙(二)付属7の二枚目運搬費欄記載の仲村建設について、前記乙第五五号証の一、甲第八号証の一五及び原告本人尋問の結果によれば、七月六日六九一、八〇〇円を同本人尋問の結果真正に成立したと認められる甲第三二号証の一ないし二〇及び同本人尋問の結果によれば八月二日から一二月三〇日までに前後二〇回にわたり合計八、一五五、七九二円を、それぞれ運搬賃として原告が同社に支払ったことが認められ、一二月三一日現在なお未払金八四四、九〇〇円の債務が残存したことは当事者間に争がない。右事実によれば、原告が同社に支払った運搬賃は合計九、六九二、四九二円であったと認められる。右八月二日以降の支払分につき、乙同号証の二ないし一三によれば、この間右支払いのために原告によって振出された手形、小切手は額面合計三、五〇一、四〇七円であることが認められる(もっとも当事者間に争のない別紙(一)付属7の支払手形明細Ⅱと対照すると、右手形、小切手中には少くとも額面四〇万円、支払期日昭和三七年一月一六日の手形((領収書としては甲第三二号証の一〇が対応する。))が脱漏していることは明らかである。)が、同本人尋問の結果によれば、右支払いは原告振出の手形、小切手のほか、現金及び岡崎工業振出手形等の譲渡によってもなされたことが認められるので、前記認定を左右せず、又右認定額より多額(一一、二一五、七三九円)に達する甲第八号証の一五のこの点についての記載は、この間の領収書としては前記甲第三二号証の一ないし二〇しか存在しない事実に照らして採用できず、他に右認定に反する証拠はない。

同欄記載のその余の取引先については、他に特段の反証はないので、甲第八号証の一二ないし一五、一七ないし一九により、同欄記載の各対応金額を各取引先に対する運搬賃と認める。

従って運搬費として計上すべき金額は合計一〇、五四五、五一三円となる。

(一〇)  その他の経費

別紙(二)付属7記載の経費中その余の費用(但し借入金利子割引料及び道路補修費は後記。)については、前記甲第八号証の一一ないし一九及び弁論の全趣旨により次のとおり認められ、これに反する証拠はない。

(1) 公租公課

所得税二、三〇〇円については経費に計上することをえず、自動車税三七七、七六五円の支出を認めて、これを経費として計上する。

(2) 水道光熱費

同欄記載の各相手先に対する各対応金額記載の各金額の支出を認め、その合計額三四、六六一円を経費として計上する。

(3) 旅費交通費

同欄記載の各相手先に対する各対応金額欄記載の各金額の支出を認め、その合計額二〇一、五六三円を経費として計上する。

(4) 広告宣伝費

同欄記載の各相手先に対する各対応金額欄記載の金額の支出を認め、その合計額六一、〇九〇円を経費として計上する。

(5) 接待交際費

同欄記載の各相手先に対する各対応金額欄記載の金額の支出を認め、その合計額三五一、〇九〇円を経費として計上する。

(6) 保険料

日本生命及び住友生命に対する保険料の支払いについては、これを経費としては計上しない。又大正海上に対する三、〇八〇円の支払いは火災保険と認め、その半額の一、五四〇円を経費として計上する。

同欄記載のその他の相手先に対する各対応金額欄記載の保険料の支出を認め、以上合計額二、九九〇、七〇六円を経費として計上する。

(7) 事務用品費

同欄記載の各相手先に対する各対応金額欄記載の金額の支出を認め、その合計額六三、一〇六円を経費として計上する。

(8) 福利厚生費

国民保険を除外した同欄記載のその余の相手先に対する各対応金額欄記載の金額の支出を認め、その合計額九六七、九五五円を経費として計上する。

(9) 雑費

同欄記載の各相手先に対する各対応金額欄記載の金額の支出を認め、その合計額一、一一六、〇五九円を雑費として計上する。

(一一)  利息割引料

別紙(二)付属7の二枚目支払利息欄記載の八州いすゞ、大阪いすゞ、トヨタ及び三菱ふそうについて、前記甲第八号証の一一には、合計額が同欄記載の各対応金額と同額になる各月別支払利息金額の記載がある。しかし前記乙第三九、第四〇号証の各二、第六七号証、当事者間に争のない別紙(一)付属7支払手形明細Ⅱ中右各社関係の支払手形(特に八州いすゞにつき。同付属5車輌運搬具明細、番号44の車輌の購入に関するものと推測される。)及び弁論の全趣旨によれば、右記載金額は、前年分同様いずれも経費として計上すべからざる延払い利息(但しトヨタ記載額中八三〇、六〇〇円については趣旨不明である。)と認められるので、これらを除外しなければならない。

同欄記載の中小企業(金融公庫)について、甲同号証の一四には、同公庫に対する二一、九四二円(同欄対応金額と同額)の支払記載がある。しかし弁論の全趣旨によれば、右支払いの元本の借入先は前年分の国民金融公庫として表示されていたものと同一と認められ、これに反する証拠はない。そうすると期首の残元金は一六〇万円であったから、これが同年八月までの間に順次分割償還されていく間の利息として六、〇〇〇円を限度にこれを認めるのが相当であり、右額を越える支払いについては趣旨不明として経費には計上しないこととする。

同欄記載のその余の借入先について、他の特段の反証はないので、甲同号証の一四、一七、二〇により、同欄記載の各対応金額の利息割引料の支払いを認める。

従って利息割引料として計上すべき金額は一、一八〇、四一六円となる。

(一二)  別表(二)付属9昭和三六年度貸倒金表記載の貸倒金については、証人藤岡彰子の証言により真正に成立したと認められる甲第一七号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告が前年に取得した売掛金債権五四三、五〇〇円の債務者砂市商店(右債権の発生は前記認定のとおり。甲第九号証)が倒産し、右債権全額の回収不能が明らかになったことが認められ、これに反する証拠はない。よって右回収不能金五四三、五〇〇円は貸倒金として処理すべきである。

ところで同表記載の新建材については、原告本人尋問の結果真正に成立したと認められる甲第三三号証の一ないし四及び同本人尋問の結果によれば、七月二二日から九月四日までの間に原告が所持していた同社振出の手形四通、額面合計一、七二五、〇〇〇円がいずれも不渡りとなったことは認められる。しかし同本人尋問の結果によれば、右各手形は、いずれも原告が同社から依頼されて同社に宛てて振出した融通手形の見返りの手形であったことが認められ、そうすると実質的には右各不渡りによって始めて債権が発生した関係にあり(原告振出の融通手形は、原告が決済したものと推測される。)、そのうえその経費性を認めるに足りる証拠はない。仮に経費性があるとしても、前記認定の原告と同社代表者が姻族関係にある事実に照らすとき、その後も取引関係を含めた両者の関係の継続又は再開の可能性はなおあり、これらの関係の中で右債権回収の可能性は否定できないといわなければならない。従って右不渡りにより直ちに貸倒金として処理することは相当ではない。

更に同表記載の弥栄重機については、証人林正治の証言及び同本人尋問の結果によれば、原告は同社に対して、原告が不要の建設機械を同社に賃貸していたところ、右賃料支払のための同社振出の手形が不渡りになったことが認められるが、同証言によれば、右不渡りの発生は昭和三七年であったことが認められ、これに反する証拠はない。従ってこれを当期の貸倒金として処理することができないことはいうまでもない。

以上貸倒金として計上すべき額は五四三、五〇〇円のみということになる。

(一三)  別紙(二)付属10昭和三六年度中事故被害明細記載の賠償金について、証人藤岡彰子の証言により真正に成立したと認められる甲第一八号証及原告本人尋問の結果によれば、原告は、原告の事業執行中に原告の被用運転手が発生させた同明細中番号1ないし9、11、12、14、16ないし43記載の各交通事故に対し、自賠責保険金以外に、各対応金額記載の賠償金合計六、六〇二、八五〇円を支払ったことが認められ、これに反する証拠はない。しかし同番号44の交通事故については前記乙第五八号証の一により、同45の交通事故については同乙第六〇号証により、同47ないし49の各交通事故については、その発生日時と事故態様及び賠償の対象自体により、いずれも賠償金の支払は次期以降であることが認められるので、当期の事故賠償金に算入できず、同番号19、13(三件)、15及び33の各事故については、加害車輌が、別紙(一)付属5車輌運搬具明細Ⅰ中に含まれていない事実に照らし、趣旨不明として採用できない。

従って事故賠償金として算入すべき金額は六、六〇二、八五〇円である。

(一四)  道路補修費

別紙(二)付属7の三枚目道路補修費欄については、甲第八号証の一二及び原告本人尋問の結果により、一三五万円の支払いが認められ、これに反する証拠はない。

(一五)  減価償却費

(1) 建設機械

別紙(一)付属4建設機械明細中、番号2、5ないし7、9、10の各機械の期末価額同11ないし15、17の各機械の取得年月、取得価額及び期末価額についてはいずれも当事者間に争はなく、同3、4、8の各機械の各処分と各処分時簿価については原告は明らかに争わない。同16の機械については、その取得と取得価格については当事者間に争はなく、その取得月については、前記乙第八〇号証によれば、一二月と認められ、従って期末価額は一〇、〇〇五、三一二円である。又同1の機械については、原告本人尋問の結果のみによっては、一二月にこれを処分したと認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はないので、期末になお残存するものとして扱う。

よって建設機械についての当期減価償却費は同明細Ⅰ当期減価償却費欄記載のとおり合計七、二八七、六一〇円となる。

(2) 車輌運搬具

別紙(一)付属5車輌運搬具明細中、番号6、7、14ないし18、20ないし29の各車輌の期末価額、同30ないし44の各車輌の取得年月、取得価額及び期末価額についてはいずれも当事者間に争はなく、同5、8、10ないし13、19の各車輌の処分と右各処分時の簿価については原告も明らかに争わないところである。

従って車輌運搬同明細Ⅰ当期減価償却費欄記載のとおり合計一一、二六〇、六〇三円となる。

(3) よって当期減価償却費は合計一八、五四八、二一三円である。

(一六)  資産譲渡損失額

(1) 建設機械

同建設機械明細、番号3の機械につき二、七一四、〇〇〇円、同4の機械につき三〇〇万円、同8の機械につき一五〇万円の各処分価額は原告も明らかに争わず、従って右各機械について前記処分時簿価と照し合わせると、その各譲渡損失額は、同明細Ⅰ当期譲渡損失額欄記載のとおりであり、その合計額は四、五五〇、九六五円となる。

(2) 車輌運搬具

同車輌運搬具明細、番号5の車輌につき四五万円、同8の車輌につき五三五、〇〇〇円、同10の車輌につき七六五、〇〇〇円、同11の車輌につき三三万円、同19の車轄につき九三二、〇〇〇円の各処分価額については原告も明らかに争わない。同12、13の各車輌の処分価額については、同19の車輌の処分価額と同額の九三二、〇〇〇円と認めるのを相当とする。そうすると同5、8、10、11、19の各車輌についての各譲渡損失額は同明細Ⅰ当期譲渡損失額欄記載のとおりであり、同12、13の各車輌については、それぞれ一、〇五〇、五七五円となる。従ってその合計額は五、一八三、三五八円である。

(3) 従って当期資産譲渡損失額は合計九、七三四、三二三円となる。

3  結論

以上の認定による原告の所得を各年につきまとめると、別紙(三)収支計算書(認定分)記載のとおりとなり、結論だけを示せば次表のとおりである。

<省略>

右によれば、原告の総所得金額は、各年とも、原告の確定申告額を超えないこと明らかであるところ、被告が前記のように認定して本件各処分に及んだことには所得の認定を誤った違法があるといわなければならない。

三  よって原告の本訴請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 乾達彦 裁判官 國枝和彦 裁判官 市川正巳)

別紙(一) 資産増減法による原告の事業所得金額

<省略>

別紙(一)付1 受取手形明細

被告主張、原告認める。

<省略>

別紙(一)付2 売掛金、出資金、預託金、架設材明細

Ⅰ 売掛金

<省略>

Ⅱ 出資金(原告主張)

<省略>

Ⅲ 預託金(原告主張)

<省略>

Ⅳ 架設材(原告主張) (品名)

<省略>

(注) アイビー用木材とは、4寸角の桧2間もの4本を組合わせてボルトで締めつけて1束としたもので、湿地帯などで建設機械の下に敷くものである。

別紙(一)付3(1) 原材料明細(1)

Ⅰ 昭和35年1月1日

<省略>

Ⅱ 昭和35年12月31日(昭和36年1月1日)

<省略>

別紙(一)付3(2) 原材料明細(2)

<省略>

Ⅲ 昭和36年12月31日

<省略>

別紙(一)付4 建設機械明細

Ⅰ 被告主張の機械

(注)( )内数字は処分時の簿価である。

<省略>

(処分車の簿価を除く。)

Ⅱ Ⅰに対する原告の認否

番号1 バケット・コンベアについては取得時期、価額は以下のとおりであり、且つ36.12、50,000円で処分した。

なお、番号16クラムシェルの36.12.31の価額については、原告主張の計算では9,910,625円とした。その余は認める。

<省略>

Ⅲ 以上の機械以外に原告の主張する機械

<省略>

Ⅳ Ⅱに対する被告の認否 いずれも否認する。

別紙(一)付5(1) 車輌運搬具明細(1)

Ⅰ 被告主張の車輌

(注)( )内数字は処分時の簿価である。

<省略>

別紙(一)付5(2) 車輌運搬具明細(2)

<省略>

Ⅱ 原告の認否 車輌の取得、取得年月、取得価額35.1.1、35.12.31、36.12.31の各価額、いずれも認める。番号12、13の各車輌の処分額は争う。

以上の車輌以外に原告の主張する車輌。

<省略>

Ⅲに対する被告の認否 車輌の存在、否認。

別紙(一)付6(1) 土地明細(1)

◎は購入 ○は引続き所有 ×は処分

<省略>

別紙(一)付6(2) 土地明細(2)

<省略>

別紙(一)付7(1) 支払手形明細(1)

(被告主張、原告認。)

<省略>

別紙(一)付7(2) 支払手形明細(2)

被告主張、原告認める。

<省略>

別紙(一)付8 未払金の明細

被告主張分 (原告の認否、認める)

<省略>

別紙(一)付9 借入金明細

<省略>

(注) 7以下の借入金はいずれも無利息、短期(1、2か月位)の約であったが、原告は資金繰りに困窮し、本件係争年中には返済はできなかった。

別紙(二) 収支計算書(原告主張分)

<省略>

別紙(二)付1(1) 昭和35年度売上明細

<省略>

別紙(二)付1(2) 35年度

<省略>

別紙(二)付2(1) 藤岡正雄 S35年分収支計算集計

<省略>

別紙(二)付2(2) 藤岡正雄 S35年分収支計算集計

<省略>

別紙(二)付3 S35年度給料明細表

<省略>

別紙(二)付4

昭和35年度貸倒金

1 大阪市都島区都島本通7丁目59

旭陽建設株式会社 476,100円

2 大阪市住吉区遠里小野1丁目61番地

光建設株式会社 200,664

3 大阪市西淀川区佃6丁目72

株式会社新興組 381,430

合計 1,058,194円

別紙(二)付5(1) 昭和35年度中事故明細

<省略>

別紙(二)付6(1) 昭和36年度売上明細

<省略>

別紙(二)付6(2) 36年度

<省略>

別紙(二)付7(1) 36年度分売上原価

<省略>

別紙(二)付7(2) 36年度分売上原価

<省略>

別紙(二)付7(3) 36年度分売上原価

<省略>

別紙(二)付8 36年度給料明細

<省略>

別紙(二)付9

昭和36年度貸倒金

1 堺市鳳南町4丁433

新建材株式会社 1,725,000円

2 大阪市西成区旭北通1丁11

砂市商店 543,500円

3 京都市左京区川端丸太町下ル下堤町

弥栄重機株式会社 1,805,930円

合計 4,074,430円

別紙(二)付10(1) 昭和36年度中事故被害明細

<省略>

別紙(二)付10(2) 昭和36年度中事故被害明細

<省略>

別紙(三)

収支決算書(認定分)

<省略>

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